Nazca Novels 歯医者さんとヴァンパイア

第3話 その力は何のために

その衝動はもはや止められなかった。
掴んだ細い肩は驚きのあまり硬直していた。
瞳を大きくした彼女は為す術がなかった。

私はどうなっちゃうの?

この後のことが頭をよぎった。
しかし、恐怖のあまり体が動かない。
殺されるの? それとも犯されちゃうの?
どうして私がこんな目に遭うの?

祐平は半年しか付き合っていない女と結婚するのに……
もうすぐ幸せになっちゃうのに……

私だけが不幸じゃない!

自分の不幸に猛烈な怒りを覚えた。
そして、その怒りを襲い来る恐怖にぶつけた。

男の牙が白く光る。

『ガツッ』

男の動きが止まった。

『ゴキッ』

鈍い音が聞こえた。

「あがぁ〜」

男はうめき声を上げてその場に膝をついた。
彼女はその姿を呆然と見つめていた。

私はもう動けない。

恐怖に打ち勝った彼女に逃げる余力は残っていなかった。
恐怖より今の自分の寂しさが勝っていた。
その寂しさは涙となって頬を伝って流れてきた。

泣いたら私が惨めなだけじゃない。

唇を噛みしめ空を仰いだ。
涙が溢れないように。


空には満月が鈍く輝いている ――


彼女はぼんやりとしながら男に視線を向けた。
膝をついたまま、男は俯いていた。

あ…血が流れている。

俯く口元から血が流れていた。
夜のアスファルトがその血で黒く光っていた。

「ううっ」

男が小さく声を出した。
彼女は男を哀れに感じた。

「大丈夫?」

自分を襲った男に彼女は優しく声をかけた。
優しさというより、同情という感情からだった。
彼女は男のそばに行き腰を降ろした。

どうして私はこんなことをしているのだろう?






「痛いって! 折れちゃったぞ2本とも」


飲み足りなかった彼女は、コンビニでワンカップの日本酒を購入していた。
部屋のドアを開けたら、その場で飲んでやると考えていた。
そんな帰宅途中の彼女の右手には、しっかりとワンカップが握りしめられていた。
そこにヴァンパイアとなった彼が現れたのだ。
突然の出来事に不幸のどん底を感じた彼女。
それと当時に幸せな元カレの姿を想像した。

押し寄せる恐怖は沸き上がる怒りに変わった。

恐怖を怒りに変えた彼女は、とっさにワンカップを彼の口に突っ込んだ。
元カレにぶつけた怨念じみた怒りは、彼女の持つ腕力を倍増させた。
それは満月の力を得た彼を完全に凌駕していた。

「そんなバカなことをするからでしょ」
「今度の満月まで生えてこないじゃないか」
「ワケ分かんない。あんた酔っぱらっているの?」
「いい歳こいて空きっ歯は情けないだろう」

彼女はただの酔っぱらいが、酔った勢いで襲ってきただけだと思った。
いい大人が真顔で歯がまた生えてくると言うのは、相当酔っている証拠だ。

「あのね、永久歯が折れたり抜けたりしたら、もう生えてこないから」

呆れた口調で彼女は彼に言い放った。

「満月に歯が生えるかいな。あんたはオオカミ男かって」

彼女は立ち上がり、上から目線で吐き捨てた。

「オレはやっぱり誰も救えないじゃないか」

あの日彼は、オレは人を襲ったりはしないと言った。
しかし、結局は満月の力に負けてしまった。
人間は脆くも弱い生き物である。
持つことのできない力を得ると誰しもそうなるのだろう。
決して彼だけを責められない。

「救うんじゃなくて襲ったんでしょうが」

彼女はキレのあるツッコミを入れた。

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